連載コラム

2025/09/10

<寄稿>連載『ゆっくりいきましょう』

第1回:「世界がひっくりかえる」

Photo: 427FOTO

夢に向かって走り続けた日々

「アクセシビリティ」─── かつて、私はこの言葉とは全く無縁の世界で生きていました。東京で生まれ、中学高校時代はバスケットボール部に所属し、美大に進学してからは、朝から晩までバイトや創作活動に明け暮れていました。車こそ運転できないものの、電車やバスに乗れば、大抵のところには辿り着けます。移動に困ることも、誰かに頼る必要も、ほとんどありませんでした。

その頃の私の夢は、オリンピックの開会式を演出すること。当時はまだ、東京が招致活動を始める前の時代。そんな非現実的な夢を、心から信じて応援してくれたのは、両親と、ほんの一握りの親友たちだけでした。“努力すれば、きっと叶う”、そんな風に信じて、全ての時間を夢に捧げ、ただがむしゃらに走り続けたのです。

生きるために夢を捨てる

そんな私の右膝が痛み始めたのは、32歳の時。半年くらい色々な病院を転々として、最後は知人の紹介で受診した大学病院で「悪性繊維性組織球腫」という病名を告げられました。骨軟部癌の一種です。進行が早く、命の危険も迫っていたので、治療法やセカンドオピニオンを考える猶予も与えられないまま、すぐに入院して抗がん剤の治療をはじめることになりました。まさか、膝の関節痛が深刻な命に関わる病だったなんて、思いもしませんでした。副作用で髪の毛が抜けること。妊娠や出産は難しくなること。脚を切断するか温存するかは、治療の経過を見ながら判断すること。そんな説明を一通り受けた後、病院を出て家に帰る道すがら、私はただ、どうやって両親にこの事実を伝えようかということで頭がいっぱいでした。きっと悲しむに違いない、そう考えたら涙がとまりませんでした。

入院生活は約8ヶ月ほど続きました。結局、右脚は見た目的には温存されていますが、骨も関節も筋肉も大方切除してしまったので、脚の機能としては全廃しました。術後の5年生存率も低く、特に一年以内の転移や再発が多い状態で、社会復帰をしたとしても来年以降のことは考えられません。ましてや、東京にいつやってくるか分からないオリンピックのことなんて考えるだけ無駄。そうして、私は少女時代からの夢を静かに捨てたのです。

ひっくりかえった東京の街

未来のことは考えずに、今この瞬間を、ただ楽しく生きていく。夢を追いかけていた昔の自分とは180度違う人生観です。変わったのは、それだけではありません。これまで、世界一便利だと思っていた東京の街も一変しました。人混みや歩くスピードの速さ、片側しか作動していないエスカレーター、遠回りしないと辿り着けないエレベーターなど、一人で出掛けようと思ったら、安全が確保できる目的地やルート、時間帯など、入念な準備が必要です。行けない場所や、参加が叶わない機会も増えました。これまでの当たり前が、どれほど有難いことだったのか、改めて気付かされる日々でした。

横浜からの再出発

象の華テラス

Photo: Katsuhiro Ichikawa

そんな私の元に、新しい仕事のオファーが舞い込んできました。横浜の象の鼻テラスで新しく始まった、障害者施設とアーティストによる“ものづくりプロジェクト”のディレクターという仕事です。昔の自分であれば、夢に直結しない仕事は、時間が無いという理由で断っていたかもしれません。でも、夢も仕事も失って、今の自分にできることがあるのなら、やってみよう。そう思って、何となくお引き受けすることにしたのです。このプロジェクトが、のちのSLOW LABEL(現:認定NPO法人スローレーベル)につながっていく活動です。

そして私は、この後、再び夢の扉をひらくことになるのです。かつてとは、まったく違うやり方で。その鍵こそが「アクセシビリティ」、この連載のテーマです。
では、連載タイトルの意味は?─── それは、おいおい明らかになっていくでしょう。

 

著者情報

栗栖良依

アートプロデューサー/認定NPO法人スローレーベル芸術監督
東京造形大学でアートマネジメントを学び、イタリア・ミラノのドムスアカデミーにてビジネスデザイン修士取得。2010年に骨軟部癌を発症し、右下肢機能を全廃。障害者手帳を取得し、社会復帰を果たす。以後、自身の経験をもとに、アートと福祉、地域、企業をつなぐ共創プロジェクトを数多く手がけている。東京2020オリンピック・パラリンピックでは、開閉会式にてDEIとアクセシビリティを総合監修。大阪・関西万博『アオと夜の虹のパレード』音声ガイド・バリアフリー字幕監修、舞台『TRAIN TRAIN TRAIN(2025年11月・東京芸術劇場)』アクセシビリティディレクターなど、制度や常識にとらわれない自由な発想で、社会の可能性をひらくクリエイティブなアクセシビリティ実践に取り組んでいる。
TBS『ひるおび』レギュラーコメンテーター。Podcast番組『栗栖良依のCREATIVE FLIGHT』配信中。
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