レポート

2019/09/30

個々の「得意」を企業の主戦力に

粉の出ないダストレスチョークの製造ライン。知的障害のある20人が熟練の技で現場を支える

 9月は国が定める障害者雇用促進月間です。障害のある人が地域で暮らし、ともに生活できる「共生社会」実現のために、昨年4月には障害者の法定雇用率も引き上げられました。徐々に雇用率が伸びる中、全社員の7割が知的障害者という会社があります。チョーク市場の国内シェア50%以上を誇る日本理化学工業の代表取締役社長 大山隆久さんに、1960年から取り組み続ける障害者雇用への思いを聞きました。


日本理化学工業株式会社 代表取締役社長 大山隆久さん

誰もが「働く幸せ」を感じる社会を目指し障害者雇用歴約60年

 父である先代社長が、初めて知的障害のある人を採用したのは59年前。特別支援学校の先生からの依頼でした。障害者雇用の知識もなく、最初はお断りしたそうです。その先生が3度目に訪問されたとき「就職は無理でも、何日間か働く経験をさせてもらえないか」とおっしゃった。「支援学校を卒業したら親元を離れ地方の施設に入居し、働くということを生涯経験できない子もいる」と。父は2人の実習生を2週間受け入れることを決めました。仕事はチョークを詰めた箱に「ふたをしてシールを貼る」作業。2人は驚くべき集中力で一生懸命にやってくれた。その姿を見た社員が「この子たちを採用してほしい。もしもできないことがあれば自分たちが面倒を見る」と言ってくれたそうです。

 最初に採用した2人が本当に頑張ってくれたことで、一人また一人と障害者雇用は進みました。企業として利益を上げなければ継続はできません。彼らを戦力にするにはどうすればよいか試行錯誤を繰り返し、昭和42年には障害者雇用を前提に北海道美唄工場を立ち上げました。

 先代社長は「誰もが働く幸せを感じる社会」という意味で「皆働(かいどう)社会」という理念を掲げてきました。その思いを社員の皆が理解してくれたからこそ今があります。2019年9月現在、全社員85名中、62名が知的障害のある人です。

障害のある人たちの社会参加を進め日本の未来に力を

 昔から変わらず大事にしているのは「相手の理解力に合わせて教える」ということです。数字が苦手な人、時計が読めない人、言葉が100%理解できるわけではない人、理解力も、体格も、体力も一人ひとり違う。工程に人を合わせるのではなく、人に工程を合わせれば、独自のラインができるのではないか、と考えました。時計の代わりに砂時計を使ったり、文字や数字が読めなくても色で分かるようにしたり、安定した品質で効率良く生産するための治具(※)の導入など、彼らのために考えた工夫は、結果として皆に分かりやすかった。格好をつけて言えばユニバーサルデザインですよね。

チョークの正しい長さと太さを一瞬で検品できるオリジナルの治具(※)

 私が別の業界から入社した1995年当時、チョーク市場は縮小の一途にありました。障害者雇用を進めることに偏見もあり、父に意見したこともあります。でも現場で彼らと一緒に働き始めると、すぐに気付かされました。彼らの技術力と集中力、正直さ、責任感、優しさ。会社を支える主戦力であるだけでなく、人として尊敬でき、大切なことを教えてもらいました。よい商品を作り、まっとうな利益を上げ、もっともっと皆が「働く幸せ」を感じられる企業を目指そう、迷いはなくなりました。

原料の練りから梱包まで、社員それぞれの能力に合わせた作業標準を作り品質管理を徹底

 そのためにも、2004年に発売した「キットパス」という商品を世界ブランドに育てていくことを目指しています。知的障害のある社員が多い会社で、しっかり経営できています、と答えることができれば、障害者雇用に興味を持つ企業が増えるかもしれない。障害はあるけれど働ける人はたくさんいます。彼らの社会参加が進めば、世の中のさまざまな場面で役に立つことができて、日本ももっと良くなる。私たちの会社が「できていること」も「できないこと」も含めて「障害のある人と働くということ」の意義をきちんと伝えることができたら、父がずっと唱えてきた「皆働社会」に世の中が変わっていく一端を担えるのではないかと信じています。
※加工物を安全に精度よく生産するために用いる作業工具。英語のjig(ジグ)の当て字。


●PROFILE●
日本理化学工業株式会社 代表取締役社長
大山隆久さん

 東京都大田区生まれ。平成3年、中央大学商学部卒業。平成5年、日本理化学工業入社。平成20年、3代目代表取締役社長に就任。 「障害者雇用の取り組みについて」詳しく紹介している日本理化学工業のHPはこちら

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