レポート

2018/11/30

出会うことから始まる 「想い」を共有すること

 何かに悩んだときあなたはどうしていますか? 思い切って誰かに話すことで、想いを共有できたり、違う考えや視点に触れ、前に進むことができた、そんな経験はありませんか。とても大きな悩みの中で、仲間と出会い、団体を立ち上げた女性がいます。NPO法人Mission ARM Japan(ミッション アーム ジャパン)理事長の倉澤奈津子さん。そこにはどのような人が集い、どんな活動が行われているのか、同法人の考えるミッション(使命)とは何か、お話を聞きました。


一人で悩んでいる人が仲間と出会える場所を

倉澤奈津子さん(左)と猪俣一則さん(右)

 「他の人はどうしているのか、私自身が知りたくて」と、法人設立のきっかけを語る倉澤奈津子さん。上肢障害者の出会いの場を提供するNPO法人Mission ARM Japanの理事長であり当事者でもある。  2011年8月、骨肉腫の手術を受け右肩甲帯上肢離断。翌年春に社会復帰を目指すも挫折し退職。「今思えば無理ではなかった。最初はできないことが多すぎて」と、当時を振り返る。同様の手術を受けた仲間と時々会う以外はひきこもった。「友達と温泉に行けなくなったことが寂しい」と悩みを打ち明けたとき「タオルをかければ平気」、「湯船に入っちゃえばわからない」という仲間のアドバイスに、目の前がぱっと明るくなった。
 2014年6月、NPO法人設立。当事者だけでなく「退院後の患者の暮らしを我々も知るべきだ」という医師や作業療法士、義肢装具士も名を連ねる。「ここでは医者と患者ではなくフラットに、お互い聞きにくいことも聞ける」と倉澤さん。月に一回、定例会を開き、当事者の悩みを解消したり、やりたいことを実現するために皆で知恵を絞る。
 九州在住の先天性上肢欠損児の父から「幼稚園で習った和太鼓を本人が続けたがっているが、よい義手はないか」という問い合わせもあった。小学一年生の男の子だという。「今までは塩ビ管を切り、ばちをねじ止めしたもので叩けたが、そんなに太い塩ビ管がもうない」という相談に、どんな義手が作れるか、義手以外の可能性も考えた。20代の当事者男性がプロジェクトリーダーとなり、試作品の使い心地をテレビ電話で確認し、今も交流は続く。「私が思い付かないような方法で遠く離れた人ともつながりを作ってくれる」と、倉澤さんは若いメンバーの活躍を誇らしげに語る。

言葉を交わし合う中で 一人ひとりの使命が輝く

 2017年春、定例会をより気軽に話せる場にと「Mカフェ」と名付けた。この春、生まれたばかりの上肢に障害のある赤ちゃんの両親から「本人は保育器の中ですが、皆さんがどんなふうに生活されているのか、お話を聞きに行ってもいいですか」という問い合わせがあった。「ぜひ!」という倉澤さんの誘いに、上の娘を連れて参加したその家族は先月、退院した赤ちゃんを連れMカフェを再訪した。
 Mカフェに集う当事者は、先天性、病気、事故など、上肢障害の状況も年齢もさまざま。「ここではいろんな意見が聞ける、その会話から活動が生まれる。当事者も受け身ではなく自分がプロジェクトに参加しているという存在意義を感じられる」と話すのは、副理事長の猪俣一則さん。それは同法人の名称にもつながる。「ここで顔を合わせて想いを話すだけでプロジェクトの種が生まれ、後に続く人の助けになれるかもしれない。私たちだからこそできることに使命感を持って活動したい」と、倉澤さんはさらなるビジョンを描く。


●PROFILE●NPO法人 Mission ARM Japan 理事長   倉澤奈津子さん

 2011年、骨肉腫により右腕を肩から離断。2014年NPO法人設立。コミュニティ活動を軸にさまざまな研究機関と情報交換し、上肢障害者(児)の生活の質の向上、医療や保健の発展に寄与。自らが欲しい肩をつくる「肩パッドプロジェクト」もプロデュース。

●PROFILE●同法人副理事長、(株)キッズ代表   猪俣一則さん

 30年前の事故により右腕に麻痺がある。代表を務める(株)キッズでは、いまだ解明されない幻肢痛(麻痺または失われた手足が存在すると感じ激しく痛む難治性疼痛)などの後遺症の研究に、当事者でありクリエイターとしてVRを駆使したプロジェクトで挑む。

関連記事