連載コラム
2020/12/08
今日は誰目線? ーCODAとして生まれた私ー
国籍、年齢、身体特性などの多様性を力に、社会に新たな価値を創造する(株)ミライロのメンバーが、リレー形式で登場しそれぞれの視点で執筆します。
CODAとして生まれた私
私には父と会話ができなかった期間が約8年間ありました。両親は耳が聞こえないので、一番最初に覚えた言葉は手話でしたが、小学校高学年ぐらいから「手話で話すことが恥ずかしい」と感じるようになり、使わないうちに話せなくなってしまいました。母は私の口の形を読んで会話ができますが、父とのコミュニケーション方法は手話しかないため、父と会話ができない日々が続きました。決して仲が悪かったわけではなかったので、言葉の代わりにプロレスの技をかけあっていました。
大学に入り、「人と違う自分の強み」を考えたことをきっかけに、手話教室に通い始めました。すると、先生からは表現力を褒められ、他の生徒からは育った環境を羨ましがられたのです。人と違う家庭環境にずっとコンプレックスを抱えていましたが、この時初めて、恵まれた環境だったことに気が付きました。
社会人になって2年目で手話通訳士の資格を取り、今では手話通訳士として、また新たな通訳者を育成する講師としても活動しています。自分の視点を変えるだけで、コンプレックスは時に強みに代わるんだと今だから感じます。もちろん、手話を勉強し始めたころから、父とのコミュニケーションはプロレスから手話へと変わり、今では手話で何でも言い合える仲になりました。
●福島直人
株式会社ミライロ ビジネスソリューション部 コネクトチーム 手話通訳士。耳の聞こえない両親を持つCODA※。手話通訳士兼、情報保障のコンサルタント。
※両親のひとり以上が聴覚障害のある耳が聞こえる子ども(Children of Deaf Adultsの略)