インタビュー
2021/08/24
パラスポーツの先に見えてくる共生社会
公益財団法人日本財団パラリンピックサポートセンター 常務理事
小澤直(おざわ・なお)さん
コロナ禍で1年延期となったパラスポーツの祭典が、ついに開幕します。パラリンピック競技団体の運営基盤強化と、パラスポーツの振興、そしてその先のインクルーシブな社会を目指し、2015年に設立された日本財団パラリンピックサポートセンター(以下、パラサポ)。常務理事の小澤 直さんに、この6年間のパラサポの活動、社会の変化、さらなる展望について聞きました。
「東京2020」に向けて全国の競技団体をひとつに
日本財団は共生社会を目指しさまざまな事業を展開してきました。「東京2020パラリンピック」の開催が決まったとき、パラスポーツを通じてダイバーシティ&インクルージョン(多様性と包摂性)社会(以下、D&I社会)を推進できると確信し、2015年5月に当センターを立ち上げました。
最初に取り組んだのは競技団体へのリサーチです。全国21団体を訪ねヒヤリングを重ねると、オフィスを持たない団体も多く、スタッフはほぼボランティア、団体間の横のつながりもないことがわかりました。個々の団体をつなぎ信頼関係を築くには、課題に対してスピードと柔軟性をもった行動が重要と考え、7月のヒヤリング後、8月末には支援策を発表し、11月には共同オフィスをオープン。2020年までにパラスポーツ全体を盛り上げていくことを目指し、基盤強化を進めました。
スポーツを通じて誰もが活躍できる社会へ
もうひとつの大きな柱としてスタートしたのは、パラスポーツの教育・普及啓発事業です。D&I社会の実現には、既成概念のない子どもたちが、障害のある当事者を知り、共に学び、体験することが必要であると考えました。車いすバスケ元日本代表の根木慎志さんが全国の小中学校で講演活動をしていることを知り、「一緒にプログラム化しましょう!」と声を掛けました。初年度は100校を目指し、根木さんとパラサポスタッフの2人で、全国を車で回りました。
やりながら考えれば、ノウハウやネットワークは後からついてくるだろうとスタートした『あすチャレ!スクール』は、2020年10月に1,000校を達成。パラアスリートのパフォーマンスを間近で見た子どもたちは、自然な気付きがあり、素直な質問も生まれます。2回目に訪れた学校では、手作りスロープができていたこともありました。D&Iはスポーツを切り口にすることで、たくさんの接点を作ることができると確信しました。
パラアスリートを講師に教育・研修プログラムを提供
スポーツは、人に元気や勇気を与えたり、心を動かしたりということもありますが、そもそも「楽しい」ですよね。ただ、障害者スポーツという言葉から「楽しい」がイメージしづらかった。ここ数年でパラスポーツという言葉が普及したのは良かったと思います。「東京2020」のおかげで、パラアスリートのメディア露出も増え、パラスポーツのイメージは大きく変わりました。将来は単なるスポーツと呼ばれるかもしれない。何が正解かはわかりません。大事なのは答えを出すことではなく、みんなで考えることではないでしょうか。お互いに寛容な心で対話できる社会になればいい。それを実現するには接点を増やすこと。スポーツは人と人、人と社会をつなぐ超強力な接着剤だと思います。
D&I社会の課題は、障害だけではありません。性別、年齢、人種、宗教など、違いを知り考える感覚を身に付けるためにも、パラスポーツを見て、興味をもってほしい。
「東京2020」までの期間限定で立ち上げたパラサポは、大会終了後も恒久的に活動していくことが決まりました。競技団体とさらに一体感を深め、社会を変えていく意識をもって、そして何よりも「楽しく」、さまざまな取り組みを続けていきたいと思っています。
8月24日発刊
ダイバーシティ&インクルージョン社会の発展に向けて、パラサポが発行するグラフィックマガジン。監修は写真家・映画監督の蜷川実花氏。大胆なビジュアルと率直な言葉で語るパラアスリートのインタビューを中心に構成。最新号には、東京2020大会日本代表の中西麻耶選手(陸上競技)、池透暢選手(車いすラグビー)、岩渕幸洋(卓球)が登場する。
配布場所:蔦屋書店(代官山、銀座ほか)
※配布は在庫がなくなり次第終了
選手の独占インタビューや、競技の紹介、大会日程など、パラスポーツの魅力を広く深く紹介するWEBサイトが、「東京2020パラリンピック」に向けてリニューアル。日本代表選手、スケジュール、見どころが一目でわかる!
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プロフィール
1974年生まれ。夏の甲子園に捕手として出場し、早稲田大学野球部でも活躍。オハイオ大学大学院でスポーツビジネスを学び、メジャーリーグでのインターンを経て、2002年日本財団入会。2015年日本財団パラリンピックサポートセンター設立、常務理事就任。