インタビュー
2020/10/16
『note』から誕生! 書く人 岸田奈美のデビュー!
作家
岸田奈美さん
2020年9月に初の著書『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』を小学館から出版した岸田奈美さん。岸田さんは、HEART & DESIGN FOR ALLのパートナー企業である株式会社ミライロの広報部長として、5年間にわたり志を共にしてきた同志です。創業メンバーとしてミライロの起業から10年間の経験を経て、作家を目指したきっかけ、著書にこめた想い、これからのヴィジョンをお聞きしました。
「この本の中にも書いているんですけど、2019年の2月に、心身の不調で突然会社に行かれなくなってしまって2カ月間休職したんです。その時期に、ダウン症のある弟、良太のことや、身近な面白いできごとをフェイスブックにポツポツ書いていたら、いろんな人が『面白いからちゃんと残した方がいいよ』って言ってくださって。その中にはプロの編集者の方もいたりして。どうやって残そうかなって、たまたま目についたのが、ブログサービスの『note』だったんです。で、最初に書いたのが、本にも収録されている『黄泉の国から戦士たちが帰ってきた』っていうブラジャーを買いに行ったときの話なんですけど(笑)、それが翌朝起きたら、約120万人もの人が読んでくれてたんですよ。どうしてかっていうと、ある知り合いの投資家さんがフェイスブックでシェアしてくださって、それがツイッターに飛び火したという。『note』って投げ銭の仕組みがあるんです。文章を読んで応援しようと思った作家を投げ銭でサポートできる、まあ寄付ですね。思いがけなくびっくりするようなお金をいただいたので、初めて弟と2人で旅行に行くことができて、そのときの話を『note』に書いたんです。そしたらまた投げ銭がドン!」
『note』に綴るエッセイを面白がってくれた人の中には、岸田さんが長年尊敬し、いつか会いたいと願っていた、ある人もいました。
「糸井重里さんも『なんかいい気分になっちゃうよ』って、ツイッターで紹介してくださって。糸井さんといえば、私は7歳のとき、まだパソコン普及率が7%だった時代に、父から突然、しかもWindowsではなくMacを与えられて、そのときから『ほぼ日』を愛読していた大ファンなんです。糸井さんのツイッターを見たのが夜中の1時くらいだったんですけど、15分で1,000文字くらいのメールを『7歳で父がこうこうしかじかでパソコンを買ってくれたときから、すごい好きでお会いしたいです』って書いたらすぐ連絡くださって。『何が言いたいかよくわかんないけど、会いましょう』って(笑)。それがご縁で、『ほぼ日』で父についての連載を持たせてもらったんです」。
またたくまに『note』の中で1番読まれている作家になり、出会いはさらに広がりました。カメラマン、大手出版社の編集者、クリエイター・エージェンシー株式会社コルクの代表、佐渡島庸平さん、そして今回の著書の版元である小学館の編集者、酒井綾子さんとの出会いがありました。
「実は、いろんな出版社からオファーをいただいたんですが、全部お断りしたんです。ブログとして書いた文体なので、縦書きにすることに抵抗があったのと、送られてきた企画書の多くが『障害のある家族と明るくがんばっている』感動的な本としてのアプローチだったので。なんかちょっと違うなと。その後、出会った酒井さんと、佐渡島さんと、3人で打ち合わせをしたときに、佐渡島さんが言ってくれた言葉が忘れられなくて。『岸田さんは珍しいタイプの面白い文章を書く。自虐的でもなく、誰かをいじるのでもなく、人を傷つけないで面白おかしく、辛かったことも明るく書く人だ。それができるのは多分、岸田さんがこの年齢になるまでに、お父さんの死や、おかあさんの病気、弟の障害、社会にあまりなじめなかった自分自身の経験から、傷付くってことをたくさん経験しているからだと思う』って。私の文章って、『100文字でかけることを2000文字で伝える』って自分でも言ってるんですけど、辛かったこともこうやって、面白おかしく文章に書けばプラスになるんだ、価値になるんだ、って気付けたんです。それはたぶんバリアバリューを理念にしているミライロで10年間働いていたことが大きく作用してると思うんですけれど。そんな私の文章を、酒井さんも『読んで元気が出た』と、すごく一生懸命伝えてくれて。私が好きなこと、愛情を持っていることを書いて、愛のおすそ分けをすると、愛がまた自分に返ってくるってことがうれしくてしかたなくて。それで、その日に会社をやめようって決めたんです。なんとかなるだろうって思っちゃって(笑)。佐渡島さんにはめちゃめちゃびっくりされましたけど。『1年くらい準備して辞めてもらうつもりだったのに、もう辞めたの!?』って」。
創作活動をスタートするにあたって、佐渡島さんと「作家になるのかライターになるのかどちらを選ぶか」という話し合いもしたといいます。岸田さんはこれからどのような活動をしていくのでしょう。
「作家になるっていうのは、小説の本を出して“先生”って呼ばれるようにならないとだめなんじゃないかと思っていて、佐渡島さんと相談していたら 『岸田さんは人生自体が作品と考えればいいんだじゃないかな。書いてもいいし、しゃべってもいいし、動画でもいい。岸田奈美の人生を面白く見せていけばいい。岸田さんを好きっていう人たちで岸田奈美を編集して創っていこうよ』と言ってくださったので、じゃあ作家で(笑)。
『note』には最初は家族のことだけ書いていたんですけど、コロナの影響で障害のある人たちが働いている食品関係の企業などが、すごく困っているという状況を知って、何かできないかなと思ってSNSを見ていたら、大阪のUSJの近くにポップコーンパパって人気店があるんですけど、知的障害のある人を10人くらい雇用してる企業で、USJが閉園しちゃった時期に売上が激減していると知って、個人的に取り寄せて『めっちゃおいしいです!』っていう記事を書いたら、ものすごい売上があったそうで、めちゃめちゃ喜ばれたんです。私がいいなと思うものを紹介して、読者の人も面白く読んでくれておいしいって喜んでくれて、がんばっている人たちが元気になればいいな。本になったこともとてもうれしいですし、本がきっかけで、わたしの家族を好きになってくれる人が増えたり、岸田家が好きになったものを一緒に好きになったり面白がったりしてくれる人が増えると、すごくうれしいなと思います」。
この本の出版を、弟の良太さんや、お母さんのひろ実さんはどんな風に思っていらっしゃるのでしょうか。本のタイトルに込めた奈美さんの想いも聞きました。
「この本のノンブルは、良太が書いた数字を使ってるんです。装丁の祖父江慎さんのアイデアで。結構、何回も書き直しがあって『あーーもう、仕方ないなあ! 』とか言いながら3パターンぐらい書いてくれて。だからいろんなところに持って行って自慢しまくると思います。言いたがりなので。母はめちゃくちゃよろこんでくれましたね。特に、父が亡くなったときのことは、『あんたこんな風に思ってたんや』って言われました。それって、本を書かなければ一生わかりあえなかったかもしれない。親子って一番近くにいるのに一番語り合えない存在だと思うんですよね。『そんなことわざわざ言わなくても、わかってるでしょ』っていう怒りや苛立ちや、あと恥ずかしいって思いもあるし。だから書くことで母との関係性はさらに強くなりました。東京新聞さんの夕刊コラム『紙つぶて』で、2017年に母が連載させていただきましたよね。東京新聞の読者の方って、みんないい人なんですよ。今だに『紙つぶて読んでました』、って、母に声を掛けてくださる方がいるそうです。
この本のタイトル『家族だから愛したんじゃない。愛したのが家族だったんだ』っていう言葉は、私にはとても大事なことで、ダウン症の良太と母のことを最初に書いたとき、98%は温かいメールだったんですけど、2%ですがとても厳しいメールもあって。『私も兄弟に障害があります。でも岸田さんの家族みたいに幸せじゃなかった』、『岸田さんが障害のある家族のことを幸せそうに書いているのを読むと、自分の人生が間違っていたと思えて辛い』とか。逆にほめ言葉も辛かったんですよ。『奈美ちゃんは偉いね。障害のある家族をこんな風に明るく書けて』。私、家族だから責任持っているのかな?家族だから離れられないんだっけ?って。私、母から弟の面倒見なさいって育てられてないんですよ。弟の面倒見てとか、助けてあげてとか、一度も母から言われたことがないんです。休職期間に弟と旅行してしみじみ思ったのは、こういう素晴らしい人がたまたま私の近くにいて、それがたまたま家族だったんだなってこと。そう気付いたらどんなとらえ方の意見も気にならなくなって。私は私が自信を持って愛した人たちが家族だったんだって思えたら、めちゃめちゃ楽になれました。書くことを通じて毎日新しいことに気付いている感じです」。
作家としての道を歩み始めた岸田奈美さんを、HEART & DESIGN FOR ALLはこれからも応援していきたいと思います。書籍、雑誌、SNS、さまざまなメディアで活躍する奈美さんと、また東京新聞の紙上でも何か新しいことを一緒に企画しましょう!