インタビュー

2021/12/27

見えない人と見るからこそ
見えてくることがある

川内有緒さん 白鳥建二さん

1冊の本が話題を呼んでいます。『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』(集英社インターナショナル)。「目が見えないのにどうやって見るの?」素朴な好奇心を抱き、全盲の美術鑑賞者・白鳥建二さんと2年間にわたり美術鑑賞を重ね、この本を執筆したノンフィクション作家の川内有緒さん。お2人がこの2年を振り返りながら、アートについて、障害について語り合った特別対談をお届けします。本サイトでは、紙面ではお伝えしきれなかった、あんな話やこんな話もたっぷり採録。これを読んだら、ますますこの本が読みたくなって、本を読んだら、もう一度この対談が読みたくなるはず!

 

―――初対面なのにとにかくよくしゃべった1日

川内 この本にも出てくる共通の友人マイティ(佐藤麻衣子さん)に誘われて、初めて美術館で会ったのは、2019年の2月、だよね。

白鳥 いや、1月31日。

川内 えっ、そうなの?私ずっと間違えてたかも。

白鳥 有緒さんにはこの前話したけどさ、俺、結構、なんでも録音するのが好きなのよね。

川内 記録魔だよね(笑)。

白鳥 後で聞くことはあんまりないんだけど、鑑賞に行くときはたいてい録音してて、最初に有緒さんと三菱一号館美術館に行ったときのもあるんじゃないかなと思って探してみたら、あったよ。で、131日って書いてあった。

川内 録ってたんだ(笑)。あのときはマイティに突然誘われたんだよね。「白鳥さんっていう人がいて、目が見えないんだけど美術鑑賞するのが好きで、一緒に見ると楽しいよ」って。

白鳥 あのころマイティから行きたい展覧会があるって聞くと「俺もそれ行こうかな」って感じで鑑賞をするようになって、そのうちマイティが友達を呼ぶようになって、有緒さんともゲストの1人として出会ったんだよね。

川内 2人は先に美術館に着いていて、私が後から入ったら、結構混んでたよね。立ち止まれないくらい人がたくさん流れている中で、2人だけがじっと立っていたのが、すごく印象的だった。

白鳥 待ってたんだよ!(笑)

川内 そうだったの?ごめん(笑)!あの日はとにかくよくしゃべった。普段美術館ではあまりしゃべらないのに、白鳥さんにどんな作品か伝えるために私もマイティも自然にしゃべる人になる。お互いの存在がお互いに影響を与えることが面白いなと思った。

白鳥 俺はそこまで衝撃的じゃないよね(笑)。マイティ+友達ゲストで行く鑑賞のひとつで、特にあの日が特別な回というわけではなかった。

川内 それぐらいの出会いだったから良かったんじゃないかな。お互い気負うこともなくて。

 

―――「アート」の見方は自由 わからなくても面白い

川内 白鳥さんは出会ったときからこの感じだから、変化したかどうか私にはわからないけど、白鳥さんが私に与えた影響はすごく大きい。最初は「アートの意味」なんて考えてなかったし、こういう本を書くためにやってきたわけでもない。これはすごい重要なポイントで、ただ面白いから一緒に見てきただけ。そうやって作品を見ているうちに、自分がそれまで見えなかったものが見えたり、実はこういう絵なのかな、と考えるきかっけになった。

白鳥 俺も単独で行き始めたころとは、変化してますねぇ。単独で美術館に行き始めたころは「全盲の自分が美術館で何を楽しめるのか」という興味から始まって、数年間はそれを探ってた。ガイドツアーを試したこともあるんだけど、専門的な勉強がしたいわけじゃないから、学芸員の人に「解説なしで、印象とか感想を話して」とお願いしてみた。それが今の鑑賞スタイルにつながってる。そう、だから最初のころから「自分の楽しみを探す」っていうことがテーマとしてあったんだよね。「視覚障害者が美術館に行きやすくなるように」とか「公的美術館は誰にでも開かれてなきゃいけないんじゃないか」とか、そういうことをチラッと思ったこともなくはないけど、そういう活動をやろうという気持ちには全然ならなかった。自分の楽しみとして開拓してたんだよね。普通に美術館に行ってる人たちも、自分なりの楽しみ方を何年かかけて見つけるんじゃないかな。それと全く同じではないと思うけど、慣れていくための時間っていうかね。美術館の人に何をどこまで求めていいのかも結構考えたよ。学芸員さんも、対応してくれる方によって本当にいろいろで、型通りの説明をしてくれる人もいたし、僕の活動自体を面白がって付き合ってくれる人もいた。それぞれの美術館にいろいろな人がいて「現代美術がわかんなかったら、わかんないって思っちゃっていい」とか、作品の見方は自由なんだってことを教えてくれた。

川内 わからないけど面白いって思えたのは、白鳥さんと見に行って、作品をよく見るようになったから。「もしかしたらこの作品とさっきの作品はつながっているのかなあ」とか、図録を見れば明らかなことかもしれないけど、自分たちで何かを発見できたときの喜びがね。間違っていたとしてもすごく楽しい。最初は私も、見えているものをきちんと伝えなきゃって思ってたんだけど、意外とすぐ「それだけじゃないんだな」って気付いて、例えばあるとき、作品を見てふと思い出した自分の思い出話をしたら、「へえ~そうなんだ、ふふふ」って白鳥さんが聞いてくれるから、調子にのってしゃべっちゃったりして。なんだか昔、誰かと映画を見に行った後に「あの場面すごかったね」とか言い合ったりしてた感じに似てて、そっか、アートもこういう見方があるんだっていう発見があったよね。

 

―――「障害」とは?自分の中の固定概念

川内 白鳥さんに「目が見えないって、ぶっちゃけ大変なこともあるの?」って聞いたこともあるよね。

白鳥 うん。「俺は大変じゃない」って話したね。目が見える状態だったこともないし、誰かと比較して大変だって感じたこともないし。

川内 最初は「白鳥さん、そんな遠くまで1人で旅して行っちゃうの!?」って、びっくりしたけど、それも自分の中の固定概念だって気付いた。「目が見えない人が遠くまで1人で行くわけがない」という考えの中に自分もいた。

白鳥 それが普通だと思うよ。結構みんな画一的だよね。俺は子どものころから「見えないから危ない」「見えないからできない」って言われ続けてきて、なんでそこに「かもよ」を付けてくれないのかなと思ってきた。本当にできないかどうかはやってみないとわかんないじゃん、ってずっと思ってた。

川内 ある作品をきっかけに「優生思想」をどう思うか、白鳥さんに聞いたこともあるよね。世の中には「優生思想」のない人だっているよね、って。

白鳥 「優生思想」が全くない人はいないでしょ。程度の差はあれ、誰の心にもある。

川内 って、身も蓋もないことを言っちゃうところが白鳥さんの面白いところだよね。「偏見は駄目」、「差別は駄目」って、みんな思っているけど、なんで人は偏見を持つのか、差別するのか、なぜ駄目なのかっていうことまでは、なかなか話さないじゃない。

白鳥 じゃあちょっとだけ話す?差別の近所にはさ「区別」があるじゃない。区別するのは、脳の仕組みとして、どうしたってそうなるんだよね。

川内 必要なことだもんね。

白鳥 うん、生存本能としてね。「区別」できなかったら生きていけない。その延長線上に「差別」があるんだよね。

川内 例えば「女性だ」は区別だけど、「女性はこういうものだ」って決めつけた瞬間に偏見のカタチになるよね。「女性はよくしゃべるから会議が長くなる」とか。自分自身に対しても「こうあるべきだ」、「こうしてはいけない」って決めつけてることもある気がする。

白鳥 決めつけちゃうと、余地がないよね。だからそこに「かもよ」をつけてほしいわけよ。

 

―――主人公・白鳥さんはこの本をどう読んだか

白鳥 俺は、まず7月にゲラ段階で30回くらい読んだんだけどさ。

川内 マジで!?恐ろしいーーー(笑)。

白鳥 最初の23回はもちろん事実確認だったけど、その後は、自分が考えてきたこととか、大事にしてきたことが書かれてるので「あ、これは俺の自己紹介みたいに使えるな」って思ったよね。自分の価値観とか、方向性を文章で確認できたことで、ちょっと励まされるというか「あ、よし。俺、大丈夫だ」みたいに感じたのが、最初の30回です。

川内 白鳥さん、読むのめちゃめちゃ速いよね。キュルキュルキュルーーって、私には早送りの音にしか聞こえないもん。

白鳥 そうね。音声ソフトで読んでるけど、最初のころは結構飛ばしてたよね。本になってからは、結構ゆっくり読んでる。あ、そうそう本をね、うちの妻が俺の母親に送ったんですよ。俺は送らなくていいと思ってたんだけど。俺と親との関係っていうのは、ほら、思春期に口も聞かなくなるみたいな感じがずっと続いてるから。そしたら80過ぎの母親から電話がかかってきて「本が届いたけど、字が細かいし、こんなに量あるし」って言うから、きっと読まないだろうなと思ってたら、1週間くらいしてまた電話がかかってきて「読んだ」って。その感想が「お前の生い立ちがわかったよ」って、母親としてどうなんだと思ったけど、本の中で俺が大学を決めた時の理由が書いてあるじゃない。あれ、両親には話してなかったんだよね。それがわかったっていう意味だったみたい。

川内 千葉からなんでわざわざ遠く離れた愛知県の大学にひとりで行くのか、ミステリーだったんだね。お母さんの謎がひとつ解決しただけでも、本にしてよかったよ(笑)。

白鳥 最近は文章そのものを味わいながら読んでるけど、俺は、第10章が好きですね。「おーだいぶまとめに入ってるねー」って感じがね。

川内 「自宅発、オルセー美術館ゆき」の章ね。コロナ禍で美術館にも行かれないし、バーチャル鑑賞しようよって誘ったら、白鳥さんに「興味ない」って言われる、意外過ぎる展開。

白鳥 だって全然ピンとこなかったんだもん(笑)。

川内 そうそう、それがいいところだよね。流されて「じゃあ俺もバーチャルやってみようかな」じゃなくて、なぜ興味がないかも後でちゃんと説明してくれて、完全に納得した。言葉で伝えることだけじゃなくて、その場に一緒にいることで起こるすべてが面白かったんだなって。今まであたりまえのことだったけど。コロナ禍を経て気付かされた。

 

―――本を書き終えても それぞれの人生は続く

川内 この話を書くとき、白鳥さんの人生や考えをもっと深掘りしていくというアプローチもあったけど、そういう風にしたいとは思わなかった。やっぱり私たちを結び付けたのは美術だし、アートがなかったらこれほどの会話は成立しなかった。それはアートの面白さ、美術の力。美術館の寛容さや作品を見ることの面白さは伝えたかったことのひとつ。もうひとつは、そこで私たちがどういう会話をしたか。白鳥さんと出会って、他の人とも出会って、美術館で一緒に過ごす時間から生まれたたくさんの会話。

白鳥 誰かがこの本についての感想で「入り口と出口が違う」って言ってくれて、俺はそれが妙に気に入ってます。

川内 確かに!「表紙やタイトルから想像する内容とは全然違った」っていう感想とか、「この本はミステリートレインだ」って評してくれた方もいて。自分で書いててもどこに行くかわからない、おかしな列車に乗っているような感じだった。

白鳥 ミステリートレインは俺そのものって感じ。

川内 白鳥さんの人生も動き続けてるし、私もマイティの人生も動いてる。この本はドラマチックなエンディングじゃなく、人生の中のある2年間を切り取った、ただの途中の物語にしたいと思った。第1章を書いたとき、頭の中に「Life goes on」って言葉が浮かんでいたんだけど、本当にそう。人生は続く!実際、その後もいろんなことが起こってるしね。白鳥さんは写真家として、福島県の「はじまりの美術館」で展示したりとか。

白鳥 あれが決まったのは、本当に奇跡的なタイミングだったよね。

川内 その連絡が来たのって、私が茅ケ崎の旅館に缶詰になって、この本をちょうど脱稿して、海岸を散歩してるときだったんだよね。脱稿してなかったら、この本の第何章ってなってたのかもしれないんだけど、そうじゃなくてむしろよかったのかも。日本では起承転結のあるストーリーが求められがちだけど、実際は「結」の後にもいろいろなことが起こり続けるんだから、それでいいなって。

白鳥 有緒さんの文章って普段からそういう気分あるんじゃない?いちばん最後に「この話、続く、かもよ」みたいな言い回しがちょろっと出てきて「ん?」みたいな(笑)。

川内 そう。人生は続く!


川内さんが東京の恵比寿で運営するギャラリー「山小屋」で、川内さんと白鳥さんがアートを鑑賞している様子を360度動画で公開中!

下記の動画からは360度動画が閲覧できない場合があります。その場合はこちらのリンクからご確認ください。

https://youtu.be/MJ5kPevZStY

2人が観賞した企画展『自転がはじまる。途中の劇場』
nakaban×山口洋祐×川内有緒

プロフィール

川内有緒(かわうち ありお) ノンフィクション作家
1972年東京都生まれ。日本大学芸術学部卒業、米国ジョージタウン大学大学院修了。 仏のユネスコ本部などで働いたのち、日本で執筆活動に。『空をゆく巨人』(集英社)で開高健ノンフィクション賞受賞。著書に『パリでメシを食う。』『パリの国連で夢を食う。』(共に幻冬舎文庫)、『バウルを探して〈完全版〉』(三輪舎)など。映画『白い鳥』の共同監督。ギャラリー「山小屋」を家族で運営。
note.com/ariokawauchi Twitter: @ArioKawauchi

白鳥建二(しらとり けんじ) 美術鑑賞者/写真家
1969年千葉県生まれ。生まれつき強度の弱視で、ものを見た記憶がほとんどない。12歳のころから光がわかる程度になり、20代半ばで全盲に。その頃から人と会話しながら美術鑑賞をする独自の活動を始め、美術館などで講演やワークショップのナビゲーターを務める。2005年からデジカメで写真を撮り始め、撮りためた写真は40万枚にのぼる。写真は美術館や書店で展示をしたり、note などに掲載。
https://note.com/shiratorikenji

関連記事